|
|
| |
|
 |
 |
|
2005年12月25日
「2005年、納会」
はやいもので今年ももう終わり。
時節柄、われわれのクラフトクラブでも過日、毎年恒例の「納会」を開いた。当日は女性が7名、男性21名で、計28名のクラブ員がJR駒込駅近くの飲み屋「磯太郎」に参集し、ひとときの宴を楽しんだ。宴のあと、飲み足らない若手クラブ員たちは、もちろん二次会へと向かったが、その後どうなったのかはわからない。(その二次会だが、今年はみんな終電前にはおとなしく家に帰ったとの事後情報があり、比較的平穏に済んだようである。)
下の写真で、奥のほうにムンムン固まって見えるのが若手グループで、手前側にシラッと、おじんグループが座っている。写真の中央、鎧兜の置物の前に座っているのが芳賀(青いチェックのシャツ)である。

写真: 渡辺 格
2005年12月25日
2005年12月15日
「パン屋」
以前一度、「ゆるゆるアートインボックスの教室」をはじめたと書いたことがある。(2005年8月2日付けトークス参照のこと。) その第一回目の制作課題は「パン屋」だった。なにしろゆるゆるクラスなので、非常にのんびりとしたペースで作っていた。しかしあと一回か二回で、みなさんそろそろ「完成」しそうである。ところが教えるためには見本が一個必要で、私も生徒のみなさんと一緒にできるだけゆっくりと、おんなじものを作っていた。しかし私のパン屋は、みなさんよりは一足先に完成してしまい、下にお目にかけることにした。看板にある横文字「BOULANGERIE」(ブーランジェリー)とは、フランス語でパン屋(パンの製造所)という意味だ。
この作品は、アートインボックスといっても幅がたったの25センチで、高さ45センチという、かなり小さなものである。教室で教えるとなると、生徒のみなさんが毎回教室まで持ってこられる大きさでなければならないし、各人の住宅事情もあるので、できるだけ小さな課題を考えねばならない。このクラスは今後もしばらく続きそうなので、これからはこういった小ぶりな作品がどんどんと増えてしまいそうである。

写真: 渡辺 格
2005年12月15日
2005年12月3日
「シカゴのこと」
来年のことを言うと鬼が笑うというが、きょうは「2006年・シカゴ・インターナショナル」についてのこと。
2006年の3月31日(金)から4月2日(日)にかけての3日間、シカゴで開催されるミニチュア・ショウ「シカゴ・インターナショナル2006」(主催トム・ビショップ)に、参加出展することにした。ここシカゴでのショーには過去2回出掛けているが、作品を並べるのは2000年春以来のことである。ショーの主催者であるトム・ビショップ氏は、この地のご出身だそうで、ミニチュア関係のイベントとしては、私の知る限り、ここシカゴでのショーが最も規模が大きい。
われわれの世代だと、シカゴといえば即「アンタッチャブル」で、それ以外のことはまったく思いつかない。しかしシカゴはロサンゼルスと並び、どっちも人口約300万人というから、全米第二の都市である。(ちなみにニューヨークは人口約800万人)。ただショーをやるのは、市の中心から車で約40分ほどのところにある「ハイアット・レージェンシー」というホテルなので、そこからアンタッチャブルの町並みは見えない。会場は大変にゴージャスで、全米はもとより世界各国からミニチュア好きのおじちゃんやおばちゃんたちがわんさかやってくる。みんないかにもカネがありそうな、丸々と太った連中ばっかりだ。ケビン・コスナーやヒラリー・スワンクのようなかっこいい白人は間違っても見かけないので期待しないほうがいい。代わりに、あんまりにも体重が増えすぎて満足に歩けないような御仁をいっぱい見ることができる。99パーセント以上が白人で、こういったミニチュアの集まりには、黒人はまったくと言ってよいほど姿を見せない。ニューヨークの地下鉄とはえらい違いである。
ま、そういった訳で、同行を希望する方がいらっしゃればと思い、少し気が早いが、来年の予定を掲載することにした。日程等の詳細についてはまだ決めていないが、2006年3月末ごろに出掛けて4月5日ごろの帰国を考えている。
希望者は是非申し出てほしい。
もしかすると日程を少し増やして、現在ニューヨークに置いてある数点の作品を、車でシカゴまで運ぶことになるのかもしれない。その場合は全長約1200キロのロングドライブになるのだが、そのへんをどうするのか、いま考えているところである。
どうぞよろしく。

左がトム・ビショップ氏
2003年ニューヨークにて
2005年12月3日
2005年11月21日
「六義園」
東京・駒込にある「六義園」(りくぎえん)へ行ったことがありますか?
私の家から徒歩15分ほどのところにある庭園なので、子供の頃にはしょっちゅう遊びに行った。今では300円ぐらいの入園料を取っているが、むかしはタダで入れたからだ。私にとってはあまりにも身近すぎる庭園なのだが、これがどうしてなかなかの名園である。なにしろ5代将軍・徳川綱吉の側近だった柳沢吉保が1695年に造ったというのだから、300年以上の歴史がある由緒正しい日本庭園である。
http://junko55.web.infoseek.co.jp/04teien/0311rikugien.htm
その六義園の紅葉がいま見ごろを迎えている。
私の義弟・丹羽伸一郎氏が行って、写真を撮ってきたので、季節がら掲載することにした。丹羽氏は写真とカメラが趣味なので、いつもいい写真を送ってくれる。
いかにも日本情緒が感じられる写真なので、このネタは最初「英文トークス」だけに掲載するつもりだったが、たまにはご近所の名所を宣伝するのも良かろうと考え、和文版も書いてみた。桜と紅葉のシーズンには夜間のライトアップがあって「一見の価値あり」である。

六義園にて
撮影・丹羽伸一郎
2005年11月21日
2005年11月12日
「久しぶりのトキワ荘」
ちょっと用事があって、先日はじめて「石ノ森萬画館」へ行く機会があった。そして 久しぶりにトキワ荘と対面した。
すでにご存知と思うが、石ノ森萬画館は宮城県の石巻市にあって、オープンしたのは2001年夏のことだった。生前カリスマ的マンガ家だった故石ノ森章太郎氏のミュージアムとして建設された施設である。石ノ森氏は若いころトキワ荘に住んでいたことが あるそうだ。よってミュージアムの建設にあたってはトキワ荘の模型展示物が一個必要ということになり、オープンの年の春、私が作ることになった。その後作品が萬画館に運ばれたあと、私は一度も石巻へは行っていない。途中で何回か、知り合いのカ メラマン氏と一緒に出掛けようと計画したこともあったが、結局実現せず、今日まで時が過ぎてしまった。だからこのたびこの作品と対面したのは、実に5年ぶりのこと である。
むかし作った作品というものは、あとで見ると、えてして見劣りすることがあるものだ。しかし今回それは感じなかった。さいわいどこも壊れていなかった。また、展示場所がよくないとか、やれ照明が暗いだとか、見に行ったひとからはいろいろと聞か されていたが、別段そんなことも感じなかった。展示場所の照明が暗いために作品の室内灯がほのぼのと際立って、かえって雰囲気がでているように感じた。しかしあんまり真剣に見ていると、あそこを直したいここも直したいといった妄想が膨らんでき て、だんだんと欲求不満になってくることがよくある。だから極力アッサリとした見 物にとどめ
「記念に写真を撮っていただけますか‥」
と、案内してくれた学芸員の佐久間朋子さんにお願いして、無事に見学を終了。
仙台の駅までお出迎えいただいた佐久間さんと萬画館事務長の狩野章さん、そして
萬画館社長の板橋一男氏や、そのほかのみなさんに厚く御礼を申し上げます。

「トキワ荘とご対面」
2005年11月12日
2005年10月22日
「ブルックリンブリッジ」
写真が苦手(撮るのがヘタ)ということは、以前にもこのトークスで書いたことがあった。だから先日ニューヨークへでかけたときも、カメラは持っていかなかった。(というより、僕は一台もカメラを持っていないのだ。)だから同行のスギちゃん(杉山武司氏)に、撮影はみんなまかせた。このときに撮った写真100枚以上を、先日CDに焼いて持ってきてくれた。中にはボツにするのがもったいないような名ショットもあったので、その中の一枚をここに掲載することにする。
下の写真はユニソンでのオープニングレセプションに駆けつけるため、一回マンハッタンに入らねばならず、当日の昼ごろ、ブルックリンブリッジをわたっているときのものだ。
いい〜写真だねえ〜、ほんとうに。
ほんの少し斜めになっているアングルがいい。
そしてどんよりとした曇り空がこの橋にぴったりで、鉄の持つ重苦しいムードをいっそう際立たせ、そこがこの写真のいいところ。リベットがビシッーっと並んだこのいかつさ、ゴツさ、このレトロさは、正に鉄の芸術品と呼ばれるにふさわしく、開通したのは1883年のことだというから、日本でいえば明治初期のこと。大好きな橋なので、いつかわたりたいと願っていたが、今回はじめて実現した。このすぐ上流にはマンハッタンブリッジというのがあって、こっちは高速ハイウェイに直結しているため、ニューヨーカーたちはそっちを使うことのほうが多いと聞いた。だからこんにち、ブルックリンブリッジをわたるのは、どちらかというと近郊の方々(主にブルックリン在住の方々)にかぎられているのかもしれない(あんまりよく知らないが‥)。
金属工作とリベット打ちの名手である佐野匡司郎氏あたりがおつくりになるのにちょうどよい雰囲気をもっているのではなかろうか‥。
―――前回につづき今回も橋の話題となりましたが、ニューヨーク行きに関しては、前回と前々回のトークスにも記載があります。

手前がブルックリンで向こうがマンハッタン
2005年10月22日
2005年10月18日
「オープニングレセプションに駆けつける」
橋の手前まできたときのこと、なんだこりゃあ〜、と思わずつぶやいた。われわれが渡るべき全長20メートルほどの鉄橋の向こう側が完全に水没し、進むべき道がすっかり消えうせていたのだ。かわりに目の前には巨大な沼がひとつ静かに広がっていて、つい数日前、搬入のために走った田舎道は、すべて沼の中に沈んでいた。
この日の午後2時過ぎにマンハッタンを出たわれわれは、北へ向かって約90分走り、ニューパルツの町をぬけ、町はずれにある橋のたもとまでやってきた。車はエイビスで調達した銀のシボレー。まことに快調な走りを見せてくれたが途中で一回渋滞し、予定がやや遅れ、このときすでに午後4時を回っていた。ときどき霧雨がフロントグラスを濡らすというあいにくの空模様で、あたりはすでに薄暗かった。
「スギちゃん、至急公衆電話を探してくれ!」
同行のスギちゃん(杉山武司氏)にあわてて声をかけた。
橋を渡ってほんの15分ほどのところに位置するユニソンのアートギャラリーでは、このたびのエキシビションにまつわるオープニングレセプションが、もうすでに始まっている時刻である。(ユニソンについては2005年8月13日付けのトークスにも記載があります。)私はどうしてもそれに出席しなければならない。会場はもう目と鼻の先なのに、しかし橋から先へは進めないのだ。そのことを至急ユニソンに伝えねばならぬ。どこかに迂回路はないのか、それも尋ねたい。できれば迎えの車をよこしてもらえれば大助かりである。
やがてエッソのガソリンスタンドの横に公衆電話を発見! しかし財布には25セント硬貨が一枚も入っていなかった。(アメリカの公衆電話は25セント硬貨しか受け付けてくれない。)よって札を硬貨に両替しなければならない‥等々、面倒くさいことがいろいろあって、結局3回両替し二箇所の公衆電話を使って、約30分を費やして通話を試みたが、とうとう電話はつながらなかった。何度コールしても留守録メッセージが応答するのみで、まるで肉声が聞こえてこないのだ。仕方なく電話をあきらめた私は、今度は迂回路を探して探して、探しまくるという作戦に出た。オープニングレセプションは午後6時までやっているので、なんとかそれまでにたどり着ければ、と考えたのだ。となれば、時間はまだ一時間以上もある。かといって詳細な地図があるわけではなく、英語はもちろん苦手だ。
で、結局、たどり着けたのである。
あまり鮮明ではないが、下がそのときの写真だ。到着したのは午後6時ちょい前で、パーティーはすでに終わりかかっていた。前夜の大雨で上流の川が決壊したため、あたり一帯が水没し、当日はいたるところで通行止めが発生したという、ニューオルリンズ現象だ。当然ながら来客はかなり少なかったと思われる。だがぎりぎりながらもわれわれが滑り込みセーフを果たせたことは、わたしはもとよりユニソンの関係者にとっても、非常に明るい出来事だったと思う。
決め手はポリスだった。
最初はガソリンスタンドで道を尋ねたがラチがあかず、かわりに警察署を探すことにしたのだ。ほどなく小さなポリス・ステーションがみつかり、ちょうど裏口から顔を出したクールなポリスにいきなり道順を尋ねた。彼は周辺の道を熟知しているらしく、躊躇なくユニソンまでの迂回路を、口でビターッと説明してくれた。そのあまりの迫力(説得力)に押された私は、英語がわからないくせに、自然と言葉の意味が飲み込めてしまったのである。彼が6マイルと言えば、ぴったり6マイルのところに信号があった。その先4マイルに石の橋があると言えば、本当にジャスト4マイルのところに石の橋があった。そうして彼は計約15マイル(約24キロ)にわたる迂回のための道順を、的確にわれわれに教えてくれたのだった。
やれやれ‥。

10月9日(日)午後6時ごろ
ユニソンにて
2005年10月18日
2005年10月18日
「ユニソンへの搬入」
ニューヨークの郊外にあるユニソンというアートギャラリーに数点の拙作を展示するというはなしについては、2005年8月13日付けの、このトークスで一度お伝えしたことがあった。そのため、私と私の工作教室の生徒であるスギちゃん(杉山武司氏)の二人は、数点の作品をかかえて、10月4日に、ニューヨークへと向かった。そしてユニソンへの搬入・陳列作業は現地到着の翌々日、10月6日の昼ごろより開始する。当日はすがすがしい秋晴れに恵まれ、まことに気持ちよく作業を進め、午後2時にはすっかり陳列が完了した。
―――ここユニソンでの展示は2005年11月6日まで続く予定。

陳列作業完了直後のギャラリー
ユニソンにて
2005年10月18日
2005年10月10日
「秋のクラブ旅行」
去る9月18日、わがクラフトクラブの若手精鋭計8名が、朝早く小田急のロマンスカーに乗り込んだ。小田急といえば行く先はもちろん箱根である。ハッピーな気分一杯で箱根湯本駅に降り立った面々は、すぐさま箱根登山鉄道に乗り換えた。やがて「彫刻の森美術館」など、若干の現地施設を見学したのち、貸し別荘「箱根ビラ」になだれ込んだ。そして、さっそく「カンパーイ!」(下の写真)となったのである。そのあとはもちろんガバガバ酒を飲みながら卓球をやったり、「人生ゲーム」をするなど、けっこう健全な遊びを満喫していたらしいのだが、うち数名が途中でダウン(寝ちゃう)してしまうなど、実はかなりバテていたひともいたらしい。しかし翌朝(翌日は祝日)には、みんな元気に(?)、おウチに帰った、とのこと‥。

「箱根ビラ」にて
2005年10月10日
戻る
|
|
|