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2003年9月26日
昨日9月25日に、ニューヨークから帰ってきたところである。(ニューヨーク行きの内容に付いては8月26日付けのトークスを参照のこと。)
現地は東京以上に蒸し暑く、かなりまいったが、全体的には非常に有意義な出張だった。もともと当サイトを現地で少しでも宣伝できれば‥との思いからの出発だったが、米国のミニチュア系マガジーン2誌に拙作が紹介されることが決まったことなど、そのほかにもいくつかの思わぬ収穫が得られた。しかし最後は、私ひとりがリッチモンド・ヒルの邸宅に取り残されるという孤独な結末を迎えた。というのは、最初は、私を含めて計9名の大所帯だったのだが、途中から次々と、そのうちとうとう全員が帰国してしまい、また、この家の主である石橋上人も現在は東京の実家に帰っている最中なので、いまは完全な無人家。そこに私ひとりが取り残された。
帰国の前日、暇つぶしに以下の手紙を書いた。
ただいま米国時間の9月23日(火)。わたしはまだ寺(邸宅)にいて、1階の白いソファーの上でこの手紙を書き始めたところです。
現在、午前3時45分。
もうこの寺には、わたし以外には誰も居ません。
ニューヨークに来てからは、ずっとショーのことや、ジェーンさんからのインタビューのことなどを考えていて、まったく観光らしき行動をする気が起きませんでした。とりわけ最大の心配ごとはショーの搬出でした。場合によっては、私ひとりで搬出せねばならぬ可能性もあり、最悪の場合は、シティーのレンタカー屋からライトバンを借りて来て、自分で運搬することも視野に入れて、覚悟しておりました。しかし幸い、高木淳子さんが居てくれたお陰で、搬出は、おとといの日曜日に、難なく終了。そして会場から戻ってきたぜんぶの物品の整理整頓や再梱包の仕事まで、すべて片付いたのが、きのう(月曜)の昼1時でした。これでやっと今回の私の任務はほとんどおわり、昨日の午後は、心からホッとした気分に浸ったものでした。それでやっとメトロポリタン美術館などを見物する気になり、午後の2時ごろに出かけたところ見事に休館! それからは歩いて歩いて歩いて、マディソン通りから、グリニッジビレツジから、バワリーへ‥‥。足がへとへとになるまで歩き回り、当初は「養老の滝」でメシでも食って帰ろうかと考えていました。そしたら途中で日本の食材屋を見つけ、思わず、大量に買い込んでしまったものです。
* いいちこ(焼酎)下町のナポレオン
* 納豆(おた福なっとう)3パック
* 明太子(辛子明太子)4切れ
* 生卵(6個)
* 永谷園の「たらこ茶づけ」
* 伊藤園の緑茶
* キリンの一番搾り(2本)
* もめん豆腐(1丁)
* 日清のこだわり「麺の達人」
* 赤いきつね・デカ盛り
* 読売新聞・国際版(9月22日付)
以上ぜんぶで、確か60ドルぐらいでしたが「養老」をやめにすればおんなじような値段。従って昨晩は寺でメシを炊き、いいちこを飲みながらスルメ(池田さんからのプレゼント!)and 豆腐 and 納豆という、グッドな組み合わせを堪能することができました。
――ところで、今回この寺で御一緒させていただきましたのは以下の方々です。
*石橋行受上人(いしばし・ぎょうじゅ・しょうにん)
(石橋上人の本名は石橋君康・きみやす・ですが出家してからは行受となりました。)
Nipponzan Myohoji New York Dojo
Mr. Kimiyasu Ishibashi 00th Street Richmond Hill NY. 00000 USA
Tel 000-0-000-000-0000
000-0000 東京都北区○○ TEL 0000−0000
若手の三羽ガラス
*田中香織(たなか・かおり)
000−0000 東京都世田谷区 ○○○ TEL 0000−0000
*金子智太郎(かねこ・ともたろう)
000−0000 東京都台東区谷 ○○○ TEL 0000−0000
*井田陽子(いだ・ようこ)
000−0000 千葉県柏市○○○ TEL 000−0000
ミドル・グループ
*稲葉美智子(いなば・みちこ)
000−0000 東京都渋谷区○○○ TEL 0000−0000
*坂井恵理(さかい・えり)
000−0000 東京都豊島区○○○ TEL 0000−0000
*及川麻紀(おいかわ・まき)
000−0000 千葉県船橋市○○○ TEL 000−0000
池田親子とその友人
*池田邦子(いけだ・くにこ)
000−0000 千葉県千葉市○○○ TEL 000−0000
*池田 聖(いけだ・きよし――池田邦子さんの次男)
*高木淳子(たかぎ・じゅんこ――池田邦子さんの友人)
000 church Rd. Apt. 0-0 North Wales PA 0000-0000 tel. 000-000-000
000−0000 東京都小金井市○○○ TEL 000−0000
ダライ・ラマ見物グループ
*Michelle Monagas(ミシェール・モナガス)
000 Cranberry Meadow Rd East Calais, VT 00000
*赤嶺辰次(あかみね・たつじ)
Tsukazan 0000-0000 Haebarn OKINAWA 000-0000 Japan
――以上の方々でした。
と、ここまで書いたら朝の6時近くになりました。
ここリッチモンド・ヒルでは午前の5時ごろから、突然雨が激しく降りだしていて、いくらか風も出てまいりました。実は、きょうは、トレインに乗って「BAYSIDE」というところまで出かけねばなりません。そこに「Tee Ridder」という名前のミニチュア・ミュージアムがあるのです。もしかするとそこに拙作を展示して戴けるかも知れません。知り合いはもう誰も居ないので、この際は、私ひとりが(決死の覚悟で)出かけてゆき、先方の館長と会わねばなりません。それが、ここでの最後の仕事になるはずです。
ペン・ステイション(マディソン・スクェアーガーデン)からロングアイランド鉄道に乗って、約1時間で「BAYSIDE駅」に着くそうです。それからはタクシーでミュージアムに向かうつもりです。
うまく行きますかどうか‥‥。
いずれにしましても明日(24日)には帰国いたします。
HAGA in Richmond Hill
2003.9.23
6:50 am.
以上が、先おとといの朝、書いた手紙だった。
この手紙を書いたあと、私は風雨の中をミュージアムまで出かけて行った。そしてミュージアム関係者のご夫妻と、郊外の素晴らしい英国風レストランで昼食を取った。昼食のあと、表に出ると、幸いいつの間にか雨は上がっていて、いくらか日も差していた。
結局、拙作を展示するというはなしは実現し、一点だけ(Numero 118という作品)を、そこに置いて帰ることになった。と、いっても永久展示ではなく、10〜11月と約2か月間、期限を切っての短期展示だ。

TEE RIDDER MINIATURES MUSEUM
2003年9月26日
2003年8月26日
お陰さまで銀座展(詳細は前回のトークス参照)は先日無事終了致しました。ご来場いただいた皆様方には厚く御礼申しあげます。
次回展は、10月に有楽町交通会館で開催される「渋谷クラフトクラブとの合同展」(詳細はエキシビジョンの項目をご覧下さい)だが、その前に、ニューヨークで、ちょっとした展示がある。このことに付いても、以前より当サイト・エキシビジョンの項目に掲載してあった。
――以下、掲載文。
■今年の9月、ニューヨークで開催されるミニチュアのショーに、数点の拙作を展示する予定です。同行を受け付けておりますので、ご興味のおありの方は申し出て下さい。また、このショーに関しての詳細は、以下のサイトに詳しく掲示してあります。
http://www.bishopshow.com/
名称――「ニューヨーク・インターナショナル」
場所――マリオット・マーケス 1535 ブロードウェイ・タイムススクェアー
2003年9月19日――午後 5:30〜午後9:30 (オープニング・プレビュー)
2003年9月20日――午前10:00〜午後5:00
2003年9月21日――午前11:00〜午後4:00
上の内容にもあるように、現地への同行者を募ったところ、なんと8名もの参加希望者があらわれたため、私を含めて総勢9名での現地行きの予定となった。
上のショーは、トム・ビショップ(米国人)という人が、世界各国で開催しているミニチュア・ショーの一環で、それが9月には、ニューヨークで開催されるのだ。(詳しくは上の、ビショップ氏のサイトをご覧下さい。)
今年の6月に、私は浜松町で開催された「東京インターナショナル・ミニチュアショー」に参加したが、これもトム・ビショップ氏のショーだった。また3年前には「シカゴ・インターナショナル」という彼のショーにも参加したことがあるので、幸いビショップ氏は私の名前を知っている。そこで今年の7月初め「あなたが開催するニューヨークでのショーに私も参加したいが‥」と、メールを打ったところ、直後に
「来てくれ」
との返事が、直接ビショップ氏から届いた。
いまのところアートインボックス作品3点と、プラス2〜3点のストラクチャー作品を持っていくつもりで、一応販売が目的だが、高いので、まず売れないと思う。そういうことよりも、私の作品や、このサイトのことを少しでも宣伝できればと考えての海外出張だ。幸い先日、米国のあるミニチュア雑誌の記者から、「ニューヨークで、貴方にインタビューしたい‥」というEメールでの申し出があった。もしお受けできれば、それだけでも十分宣伝になると考えている。
以前、この項に、ニューヨーク在住の私の友人(石橋きみやす上人)のことを書いたことがある。(2002年9月12日付けのトークスを参照のこと。)彼の家は、マンハッタンから車で約30分の位置にあり、我々一行は、石橋上人のご好意により、彼の家に滞在する予定だ。出発は9月14日。

2003年8月26日
2003年7月31日
以前より当サイト「エキシビジョン」のコーナーには掲示してありましたが、8月に下記日程で拙展が開催されます。
場所は、銀座の「ステップス・ギャラリー」という小さな会場です。
ここでは過去二回の拙展を開催した経験があり、そのときの様子は「Scenes FromExhibition」のセクションに多数の写真を掲載してあります。今回も、だいたいは似たような展示になるハズです。
名称――芳賀一洋展
場所――「ステップス・ギャラリー」
住所――東京都中央区銀座7-8-1
電話――03-3571-0424
会期――2003年8月5日(火)〜8月17日(日)
時間――午前11時〜午後7時
今回、特に目新しい作品は展示いたしませんが、お時間がありましたら是非のぞいてみて下さい。芳賀は、原則毎日会場に詰める予定です。
どうぞよろしく。
2003年7月31日
2003年7月15日
当サイト「プラスチックモデル」のコーナーでは、プラモデルのオートバイを色々と掲載している。ここに最近、「BMW・R69S」、「HONDA・CR110」、「ハーレーダビッドソン・アーミーモデル」、「陸王」の4車種を新たに追加し、これで計8種類のバイクが並び、お陰様で、かなり充実してきた。
ほとんど全部がグンゼ産業の「ハイテクモデル」というプラモデルのキットを組んだものだ。これはプラモデルとしては割に高く、ひとつ7〜8千円ぐらいする。しかし最終ページに掲載したハーレーだけは安物のキット(発売元ハセガワ・定価1500程度)を組んで作った。
私は過去、たくさんのアートインボックス作品を作った。
それらの製作過程で、毎回頭を悩まされるのが路上に置くための物品だ。すべての作品は1945年のパリという設定なのだが、いっくら当時の写真を眺めてみても、路上に物など置いてないからだ。しかし作品として見ると、画面の手前(路上)には、何かがないとヘンなのだ。しょうがないので、お掃除の道具類をならべてみたり、ガラクタの木箱類を並べてみたり、またある作品ではゴミの類を並べてみたりと、ない知恵をしぼり、いろいろ工夫をこらしてきた。できるだけワンパターンは避けたいので、毎回新しいアイデアを探してきたのだ。しかしだんだんと種が尽きてくる。そんなとき、突然バイクを置くことを思いついた。バイクならば、路上にあっても何ら違和感はない。しかもプラモデルを加工すれば済むので、作るのもカンタンそうである。だから最初に考え付いたときには、大喜びしたものだ。そうして出来上がった作品の題名は「モンパルナス19」。(以前より当サイト、アートインボックスのコーナーに掲載してある。)
と、いうわけで、アイデアはよかったのだが、非常に困ったのは、古いバイクのキットがみつからないことだった。本当なら、1940年ごろの、フランス製のバイクが望ましいところ。しかも縮尺は12分の1でなければならない。私は、次から次へと東京中のプラモデルショップを探し回った。だがそんなものはどこの店にも置いていなかった。それでしょうがなく、この作品には、ハーレーダビッドソンのアーミーモデルを置くことでお茶を濁した。なにしろ私がつくっているパリものは、ノルマンジー上陸作戦によって連合軍が進駐してきた直後という設定なので、道端に米軍バイクがころがっていたとしても別段不思議ではない。が、車種としてはかなり新しいものだったので、時代考証的には大いに不満足ではあった。しかしそんなことまでわかる客はまずいないだろうと考え、そのまま作って作品の手前に置いてしまった。
それは、それでよかった。
だが、じゃあ、「他の作品にフィットするバイクは?」となると、相変わらず適当なものは見つからない。仕方なく、ある人に
「なにか、いいバイクって、ないですか‥?」
と、尋ねてみた。この方は、かなりのドールハウスをつくる女性で、どういうわけかバイクにも非常に詳しいという変わったお方。
それから数ヶ月が経って
「もし、よかったら、これを使ってください‥」
なんとプラモデルのバイクのキットをタダでプレゼントしてくれたのだ。それがグンゼのハイテクキットとの出会いだった。このときいただいたキットは「BMW・R69S」と「トーハツ・ランペット・CR50」のふたつで、いずれも店頭では入手不可能という貴重品だった。もったいなくてしばらくは封を切る気になれず、実際に作ったのはそれから一年ぐらいたってからのことだった。しかし残念ながら、二台ともパリの街角には不似合の車種だったため、ただ単にバイクだけの作品となってしまった。以後その数は、だんだん増えてゆき、同時に、バイクを作ることにはまってしまった私は、町のプラモデル屋でグンゼのキットを見つけるたびに買いあさっている。
本文の文末には、2000年の11月に発売された「月刊モデルグラフィクス」の誌面から、私のバイクが取り上げられたときの様子を掲載した。写真はトーハツ・ランペットと、ホンダのCR110である。このときは同時にカンタンな制作記事も併載された。(記事の内容は、当コーナー・2002年11月15日付けにて全文掲載してあります。)その後再度、同誌別の号に、こんどは「陸王」を取り上げて下さるという話があり、私は、はやばやと記事だけを書いてしまった。が、結局「陸王」の記事はボツになり、使われることはなかった。もったいないので、本日は、その、日の目を見なかった駄文を下に掲載することにした。
――これは陸王ってバイクだが、むかし三軒隣りのおっちゃんが乗っていた。当時、うちのオヤジは「アサヒ号」なんて地味なバイクで通勤していたから、こども心に「負けた!」なんて思ったもんだ。
前回、11月号で記事にしたトーハツ・ランペットは、絶版の貴重品というキットを組んだものだったが、今回の陸王は、幸いいま市販されている。
例によってグンゼ産業のハイテクモデルというキットを使ったので、主要部品のほとんどがホワイトメタル製というやっかいなもの。やってみりゃあわかるけど、ちょいとヘマすりゃポキッと折れちゃうのがホワイトメタルの特徴だ。だから折れちゃったパーツはすべて金属で作り直した。サイドスタンドや、マフラーの根元や、リヤブレーキのテコや、訳のわからないパイピングの類や、その他かなりの部品を真鍮で作り直した。また、フロントとリヤのフェインダーや、イグニッションキーや、リヤのナンバープレートなども、薄い洋白材を材料に、すべてを作り直した。というのは、キットにふくまれているステンレスのエッチング板はメチャクチャ硬いので、うまく曲がらない。その上ステンレスだとハンダが流れにくいし、腐蝕液にも反応しない。等々を考慮して、ぜんぶを洋白でつくりなおさざる得なかったのだ。
今回の自慢はサドルなんじゃよ。むかしのバイクのサドルって、だいたいこんなもの。しわくちゃのボロボロだった。そのへんをムキになってつくろうとするとこんな風になる。まずツルッとしたプラスチック製のサドルにゴムのり系のスプレーを吹き、それから東京都23区推奨の白いゴミ袋をおっかぶせ、くるりと裏側に巻きつけた。そいで裏側にはピッタリの大きさのガムテープをはりつけて、ギュッと固定する。着色は、オイルステインの原液(黒)を、シンナーでパシャパシャに薄めて筆でサッと塗った。もっともこれは表側(サドルの表側)だけのことで、裏もおんなじようにやったらシンナーが染みてガムテープがはがれてしまう。だから裏側はスプレーでの着色となった。(――表側だけは、どうしてもキタナラしく塗りたかったので、筆ぬりにしたって訳だ。)
これで、かなり実感がでる。
だがここまでやっちゃうと、どうしてもサドルのアンダーが気になってくる。キットだと、そのままサドル受けに接着しておしまいだが、それじゃせっかくの雰囲気が台ナシしだ。むかしのバイクなら、コイルスプリングが丸出しって構造でなきゃ、ね。
おかげでコイルスプリングも自作することになった。
太さ0.5ミリ程度の真ちゅう腺を少量準備し、まずはそれをガスで真っ赤にあぶって焼きなます。あとはそれを太さ2ミリの丸棒に巻きつければ出来上がり。ここまでは、いたってカンタン。しかしそのあと、そのスプリングを、どうやってサドルの裏側に取り付けるのかが、非常にやっかいだった。シートの裏側は、さっきガムテープを張ってしまったし、スデに着色もしてあるので、加工は、かなり面倒だ。
以下、少し説明すると、まず真ちゅうでT字型の金具をあらかじめ作って、それをサドルの裏側にピンで突き刺して固定する。次はT字金具のおのおのの先っぽに細いシャフトをハンダ付けし、そこに、さっき作ったコイルスプリングを通して、それからサドル受けに接着するという手順だった。やったら案外うまくゆき、しわくちゃのサドルの下には原始的なコイルスプリングがキラリと光って、そうとういい雰囲気になってきた。すっかり気に入った私は、ついでに(フロントの)ハンドルの根元にもスプリングを入れたくなり、こうしてだんだんと余計な仕事が増えていった。
いまでも慙愧(ざんき)の念にかられるのはヘッドライトの角度のこと。もつと下に向けるべきだったのだ。残念ながらこの部分は特に厳重に真ちゅう線を植え込んで止めてあったので、あとでは直しようがなかった。しかし、よく良く考えると、むかしの単車のライトなんて、結構ぐらぐらしていて、よくおっちゃんが、走らす前に、ちょっと下を向けたりして調整していたものだ。それを考えれば、多少上を向いていても、そんなにメゲることはないのかも知れないと、いまはそう思い、自分をなぐさめている。
陸王がはやっていた時代は、力道山や、月光仮面が大活躍していたころのこと。だから陸王っていうと、どうしても力道山の顔をおもいだす。力道山のようなムキムキマンがよくこの単車にまたがっていた。

月刊「モデルグラフィク」誌
大日本絵画/刊・2000年11月号より
2003年7月15日
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